草柳隆明自己紹介

こんにちは。
草柳隆明です。
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今回このブログでは僕、草柳隆明の自己紹介をしていきます。

0歳~18歳

1991年2月11日 28歳
東京都江戸川区生まれ。

生まれてすぐ先天性の心臓病で救急搬送される。
(全く覚えてないし、病気の名前も忘れた。笑)

なんとか一命は取り止めそこからは順調に育っていく。

小学生まではただの運動好きな少年。
小4~小6まで学校のソフトボールチームに入ってソフトボールを行う。

~中学校時代~

中学に入り仲良くなった先輩の影響でラグビーを始める。
元々体の線も細くラグビーをやるなんて思っていなかった。
病気の事もあり親にも心配されて反対されたが、押し切ってラグビーを始めた。

最初はタックルするのも怖くて、よく自分でもラグビーをやったなと思っていたくらい。

チームは中学では2年の時に東京都で優勝。
有難い事にスタメンで出させてもらっていた。

3年次はチームでキャプテンを務める。
東京都選抜に選ばれると言われていて、自分でも選ばれると思っていた。

だが、現実はそんなに甘くなかった。
セレクションでミスを連発。落選。
他のチームメイトは選ばれ、自分だけ選ばれなかった。

正直ショックは大きかったが、結果は変わらない。
高校もスポーツ推薦で全国レベルに行きたいと思っていたが、自信を少し失い結果的には当時東京都ベスト16レベルの高校にスポーツ推薦で決めた。

当時高校選びで悩んでいた。
「出られなくてもいいから全国レベルの学校に行くか、出られるけどそこそこのレベルの高校に行くか。」
結果的には後者を選んだ。

~高校時代~

スポーツ推薦で入学し、1年からレギュラーで活躍。
2年時は都ベスト8。
3年時はキャプテンを務めベスト16。

ラグビーは自信があった。
チームメイトには負けないと思っていたし、どんなに強い相手がきても勝てると思っていた。
「困ったら俺にボールを回せばなんとかする!」
というくらいの気持ちを持っていた。

そして、
この時人生について考え始める。

大学付属の高校に行っていたので、そのまま進学するつもりだった。
「だが、それでいいのか?」と考え始める。

ラグビーには自信を持っていたので、
”ラグビーを教えたい”
”もっと上のレベルに挑戦したい”
そう思い始めた。

高校選びの時はトップレベルへの挑戦を諦めた。
だからこそ、挑戦したかった。

それと同時に教えられる仕事を考えた時に
「ラグビーを一番教えられるのは教員だ!」と思い始めて、教員を目指すことにする。

教員と考えた時勉強はあまりできなかったので、体育教員になろうと決意!

ラグビーもトップレベルでやりたい!!
そう思い、高校3年の夏から勉強を始め日本体育大学を一般受験。
無事に現役合格をし、日本体育大学に入学する。

だが、この時コーチ達からは
「やめておいたほうがいい。」と反対されていた。

18歳~22歳

~大学時代~

ラグビー部にも入部し、実家を出て寮生活を始める。
大学ラグビーの一部リーグに所属している日体大で3年時にAチームで出場することを最初は目標にしていた。

・・・だが、現実は甘くなかった。

高校でラグビーをしていて、怖いものはなかった。
ちやほやされて、通用すると思っていたが、レベルの差を痛感する。

全国から集まってきて、日本代表の人もいた。
全く通用しない・・・
3年でAチームで出るどころかCチームでも出れるのか・・・

実力世界。
全国レベルに後輩も入ってきて、抜かされる。
学年が上がれば出れるわけではない。最後までAチームで出られない人もたくさんいる。
そんな僕は3年生までCチームだった。

だが、どこか諦めきれずに筋トレだけはずっと続けていた。
昔からコツコツ続けることだけは得意だった。

その結果自分の強みを見つけて、4年生の時にAチームに昇格。
初めてのレギュラーを掴んだ!

公式戦にも10番で出場する。

全く通用しないところから、トップまで上り詰めて
努力すれば最後は評価されるということを体感した。

監督からの信頼も勝ち取り、順調にAチームで春シーズン出場していたが夏合宿で調子が悪くスタメン落ちになるかならないかの瀬戸際を戦っていた。

そして不運にも合宿中に1日だけ熱を出して練習を休まざるを得なくなる。
そして、翌日メンバー表を見たらスタメンから落ちていた。

実力世界の厳しさを改めて知った。
一つの体調管理がスタメン落ち。

さすがに凹んだ。
だが、凹んでいても仕方がないので再びレギュラーを取り戻そうと練習した。

最終的にはAチームでまた出られたが、同じポジションをつかみ取ることはできなかった。
レギュラー選手の怪我があり、スタメンになれたという状況だった。

ポジションを複数プレーできたのが功を奏した。
そして引退。

最終的に試合に出られるようになったら、反対していた高校時代のコーチ達も認めてくれるようになった。
「お前ならできると思っていた!」と言われる。

有難い気持ちとなんで最初から応援してくれなかったんだろうという疑問が残っていた。
(後にコーチングを学んで理解する)

就活をしながら、教員になる為に教員試験を受けるも落ちる。
有難いことにラグビーで声をかけてもらっていた会社があり内定をもらっていた。

教員にはなれずに、その物流会社に就職した。

22歳~24歳

~社会人時代~

新卒で物流会社に入社。
会社としては僕が2年目に東証二部上場し、3年目には一部指定に。

1年目は配送をしていて手取りで30万弱もらっていた。
給料は良かった。
だが、残業が80時間。それでも残業代は出ていたので文句はなかった。
2年目で内勤に部署移動した時、残業が減り給料も7~8万減った。
そこで「どうしよう・・・」
と考え始めた。

今の会社にいても給料は上がらない。
やるなら副業しかないと副業を調べ始める。

24歳で会社員をやりながら、アフィリエイトなどのネットビジネスなど色々なものを調べた。

更に本格的に転職も考えだした。
稼ぎたいし、やるなら営業だ!
そう思い転職活動をして車屋に内定をもらう。

会社にも辞めると伝えて退職日も決まる。
(だいぶ揉めたが・・・笑)

その時大学の同級生にネットワークビジネスを誘われる。
説明会に聞きに行き、「凄い!!」と思い、即登録し活動を始めた。
そのまま物流会社を退職する。

どうせやるなら本気でやろう。

貰っていた内定先も蹴った。
人生賭けてもいい。そう思って始めた。

24歳~27歳

~独立時代~

稼いでいく気満々だった。
チャレンジ精神と勢いだけはよかった。笑

勢いはよかったものの、ビジネス的な考え方は何もなく営業経験も0で
とりあえずアポに行き70人連続断られる。
勢いだけでできるものではないと、思い知らされた。

でも当時の僕は難しいけれどこんなもんだと思っていた。
諦めるという選択肢はなかった。

24歳でターニングポイントとなる今のメンターと出会う。

25歳でコーチングを知り、自己投資。
教師になりたいという夢はまだ持っており、メンタル的なことを教えられたら面白いと思った。
マインドの大事さを知り、70人連続で断られていた僕がその後4ヵ月で600万を売り上げる。

26歳でコーチングのスキルを活かし、個人で活動をする。

セミナー講師としてコーチングを伝えていきたい。
そう思い始めてセミナー事業もスタート。

そこからセミナーも月3~4回のペースで行っていく。

とはいえ、コーチングだけで食べていけることはなかった。
アルバイトをしながらやっていた時期もある。
・コールセンター
・警備
・派遣
・飛び込み営業
など様々な事をやったが、やりたいことはこれではないと毎回思いすぐに辞めていた。

「やっぱ自分でやりたい。」
バイトをしながらも不動産や人材系などの営業代行を行っていた。

それに加えてメンターが立ち上げた人材育成会社のコミュニティのスターティングメンバーとして会員になる。
そのメンターからはビジネスの基本、営業の基本など幅広く教えて貰っていた。

この人に何ができるかな?
この人は何をしたら喜ぶのかな?
どう貢献できるかな?

そんなことを常に考えていた。
当時それなりに営業成績も出していた。

そして27歳の時にその会社にヘッドハンティングされる。

27歳~現在

~人財教育事業~

人財教育会社の社員として今は活動中。

会社としては
『夢を実現化させる』サポートをしている。
・人としての在り方
・ビジネス(副業・資産形成)
・仲間作り
・リーダー育成
・コミュニティ作り
・自己分析
を伝えている。

僕個人としての担当は営業活動を主にしながら、
・コーチング
・運を味方につける
・営業チーム
のセミナーや指導に当たらせてもらっている。

今では営業でのクロージング率は70%越え。
元々営業できなかったことを考えると成長した。

2018年末には電子書籍も出版。
《生きてるだけで丸儲け》
Amazonランキング3部門で1位獲得。
全体ランキング11位。

沢山の方のお陰で今の自分があります。
ありがとうございます!!

僕の人生のテーマは
『常にチャレンジしていく!!』

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